ガイコツ日本人被虐殺史ガイコツ

元寇


文永の役(文永11年10月05)
西暦1274年11月04日

弘安の役(弘安04年07月01日)
西暦1281年08月16日

元軍といってもその大半は朝鮮の人や中国の人で
対馬・壱岐の島民の手のひらに穴を
開け縄を通して家畜の様に連れ去る。
馬とともに食料にされた。(食人風習があるため)
被害島民は両役で6千人を越す。

通州事件

国際法違反、
日本人居留民
大虐殺

昭和12(1937)年7月29日、北京の東方は、冀東(きとう)防共自治政府の
首都・通州で「大虐殺」がなされました。
通州を襲撃したシナ保安隊は、多勢にものを言わせて
日本軍守備隊を全滅させ、
余勢を駆って、何とあろう事か、日本人居留民をも「標的」にしたのです。
シナ保安隊は、
日本人居留民を通州城内に全員集め、城門を閉めた上で
(要は城外へ逃げられない様にして)、
日本人居留民の住宅一軒々々に火を放ち、女性には暴行を加えた上で
局部に丸太を突き刺す等して殺害、子供は両手・両足を切断し、
男性には首に縄を巻き付けた上で引き回す等、
「残虐」の限りを尽くしたのです

朝日新聞法廷記者団の
東京裁判の証言

守備隊の東門を出ると数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。
某飲食店ではことごとく首と両手を切断され婦人は14,5歳以上は全部、
強姦されていた。
旭軒という飲食店に入ると7〜8名の女性が全部裸体にされ強姦後、
射殺され陰部に箒(ほうき)を押し込んである者、
口中に砂を入れてある者、腹部を縦に
断ち割ってある者など見るに耐えなかった。
東門の近くの池では、首を電線で縛り、
両手を合わせてそれに8番線を
通し、一家6名、数珠繋ぎにして引き回した形跡の
歴然たる死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。
夜半まで生存者の収容にあたり、「日本人は居ないか」と叫んで
各戸ごとに調査すると、鼻に牛のごとく針金を通された子供、
片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが
そこそこの塵箱の中やら塀の陰から出てきた。
・・・・・日本人が支那人(語源・秦、CHINA)にしたとされている
様子に似ているが、食人風習のある
支那人がしたことだから日本人も同じことをするという発想です。
魚と野菜食の日本人には出来ないことです。

アメリカ兵の日本兵”大”虐殺

リンドバーグ著・第二次大戦日記、より(絶版・新潮社刊)

「翼よ、あれがパリの灯だ」で有名な初の大西洋横断飛行の
チャールズ・A・リンドバーグ氏が大東亜戦争(太平洋)
に従軍した時の日記(記録)です。

1944年6月21日(水)

偵察隊の一人が日本兵”捕虜”に煙草と火を与えた。煙草を吸い始めた途端に
日本兵”捕虜”の頭部に腕が巻きつき喉元が「一方の耳元から片方の耳元まで
切り裂かれた」のだった

1944年6月26日(月)

ニューギニア戦線で2000人の日本人捕虜を飛行場に連れて行き
機関銃を乱射して殺害しました。生き残った100人〜200人を
本部に連行した。
米軍将校の談話・・・・・
「両手を挙げて投降したのに戦友が殺されたら投降を
奨励することにはならないだろう」523ページ
リンドバーグは捕虜をとらないという米軍の態度に
疑問を抱いた

日本兵の死体から剥ぎ取った
絹地の日の丸(国旗)・・・・10ポンド(33ドル)
日本軍将校の軍刀・・・・250ポンドで売れるらしい。
最近、日本兵遺族に返したいというものも子の手の類。

1944年6月28日(水)

我、将兵の態度に深い衝撃を覚えた。敵兵の死や勇気に対しても
、また、一般的な人間生活の品位に対しても、敬意を払うという
心を持ち合わせておらぬ。・・・・略奪したりある議論の最中に私は意見を述べた。
日本兵が何をしでかそうと、我々がもし拷問を以って彼を死に至らしめれば
我々は得るところが何一つ無いし。また文明の代表者と主張することさえ出来ないと。
「まっ、中には奴らの歯をもぎ取る兵もいますよ。しかし大抵はまず奴らを殺してから
それをやっていますね」と、将校の一人が言い訳がましく言った。

1944年7月24日(月)

そこには1人の日本軍将校と十人〜12人の日本兵の死体が、切り刻まれた
人体だけが見せるような身の毛もよだつ姿勢で四肢を伸ばしたまま
横たわっていた。頭蓋骨を覆う僅かな肉片だけが残っている。
ある場所では一個の遺体に二つの首が並んでいるとおもえば、他の場所では
遺体に首がなかった。
中には四肢がバラバラになり、身体のかけらしか残っておらぬ死体もあった。
そして同行の将校が言ったように「歩兵はお得意の商売にとりかかったようだ」
つまり、戦利品として金歯をもぎ取ったと言うのである。
穴の中には5〜6人の日本兵の死体が横たわり、我軍が
その上から放り込んだトラック1台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。
同胞が今日ほど恥かしかったことはない。敵を殺す。これは理解できる。
戦争の欠くべからざる要素だ。敵を殺戮する最も効果的ないかなる
方法も正当化されるだろう。
しかし、わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾で出来た穴
に投げ込んだ上、残飯や廃物を放り込むところ場で堕落する
とは実に胸糞が悪くなる。

1944年8月6日(日)

「オーストラリア軍の連中はもっとひどい。日本軍の捕虜を輸送機で南の方に
送らねばならなくなった時のことを知っているかね?あるパイロットなど
僕にこう言ったものだ・・・。捕虜を機上から山中に突き落とし
ジャップは途中でハラキリをやっちまったと報告しただけの話さ」
「例の日本軍の野戦病院を占領したときの話を知っているかね?
我軍が通り抜けたとき、生存者は一人も残さなかったそうだ」

1944年8月14日(月)

ヌムフォール島・・・・「連中はちょいちょい自分たちで殺したジャップの大腿骨を持ち帰
り、それでペン・ホルダーとかペーパー・ナイフとかいったような品を作っている」

1944年8月30日(水)

タラワ島・・・・「英語を話せる者は尋問のため、連行されあとの連中は
一人も捕虜にせず虐殺した」という。

1944年9月9日(土)

ケネス・コリヤー中尉、マッコール大尉と昼食。ロイ島の侵攻作戦と占領当時の話題。
穴の中の遺体をブルドーザーに”かける”前に何人かの海兵隊員が
遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり金歯探しに棒で口をこじ開けたりした。
金歯を仕舞い込む子袋を持っている海兵隊員さえ居た。その将校は
さらに、耳や鼻を切り落とされている日本軍の戦死体を見たとも言った・
「海兵隊員が耳や鼻を切り落とすのは面白半分に仲間に見せびらかすためか
乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の首を
持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびり付く肉片を
蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなり過ぎたので
首を取り上げねばなりませんでした」

1944年9月14日(木)

オアフ島の税関・・・・税管吏は荷物の中に人骨を入れていないか質問した。
日本兵の遺骨を戦利品として持ち帰る者が多数、発見され
たので、相手構わずにこのような質問をせねばならないのだと言う。
税管吏はまた、手荷物の中にまだ「緑色をしている」日本兵の頭蓋骨を
2個も忍ばせていた男を発見したことがあるとも言った。

日本本土無差別爆撃

大東亜戦争
(アメリカでは太平洋戦争)

日本本土の空襲。60万人
原爆被害者。30万人
全て民間人・国際法違反

東京裁判

A級絞首刑または銃殺刑

絞首刑(東条英機元首相,板垣征四郎陸軍大将,
土井原(どいはら)賢二陸軍大将,松井石根(いわね)陸軍大将,
木村兵太郎陸軍大将,武藤章陸軍中将,
広田弘毅(こうき)元首相=1948年12月23日に絞首刑執行)

B・C級戦犯

 B・C級戦犯被告       5606 名 
 絞首刑または銃殺刑    937 名
 自決及び獄中死   131 名
 終身刑   385 名
 無期懲役  1046 名 
 有期懲役  3075 名
 事故死及び死因不明    32 名

(正村公宏著『戦後史』(上)より)

ラダビノッド・パール
東京裁判は文明を圧殺した

《勝者によって今日与えられた犯罪の定義に徒っていわゆる裁判を
行うことは
敗戦者を即時殺戮した昔とわれわれの時代との間に横たわるところの
数世紀にわたる文明を抹殺するものである。
かようにして定められた法律に照ららして行われる裁判は、
復讐の欲望を満たすために、
法律的手続を踏んでいるようなふりをするものにほかならない。

 それはいやしくも正義の観念とは全然合致しないものである。
かような裁判を行うとすれば、本件において見るような裁判所の成立は、
法律的事項というよりも、むしろ政治的事項、
すなわち本質的には政治的な目的にたいして、
右のようにして司法的外貌を冠せたものである、
という感じを与えるかもしれないし、
またそう解釈されても、それはきわめて当然である。》パル判決書(上)
東京裁判の問題点は、日本の戦争犯罪を裁くとしながら、
裁判所そのものが国際法を蹂躙したことにある。その虚構性を判事のなかで
唯一の国際法学者であるパール判事はこうして強く批判したのである。

ウィリアム・シーボルト
東京裁判自体が誤りだった

《私は、起訴状のなかに述べられた、いまわしい事件の多くを、
よく知っていたけれども、本能的に私は、全体として裁判をやったこと
自体が誤りであったと感じた。……当時としては、
国際法に照らして犯罪ではなかったような行為のために、
勝者が敗者を裁判するというような理論には、私は賛成できなかったのだ。
 もちろん、これと反対の意見のなかにも、
相当の説得力をもったものもあった。そして歴史によって、
その正当牲が証明される時が、くるかもしれない。
しかし、この点に関しては、私の感じは非常に強かったので、
この最初の演出された法廷の行事が終るまで、
私は、不安な感じに襲われ、再ぴ法廷にはもどらなかった。》
(『日本占領外交の回想』

東京裁判には、GHQ内部からも批判があった。
東京裁判が法的に不備があるというレベルの問題ではなく、
これが正義を実現するものではなかったからである。


日章旗我々のご先祖様に黙祷

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