nisisige's Trip

自転車、鉄道、飛行機、フェリーなどを利用した旅行記です。

以前の旅行記も順次アップしていきます。

2001/11/9〜13() 2001Tour de Okinawa
2002/10/12〜15() 鉄道旅行


2001/11/9〜13() 2001Tour de Okinawa

以下の話は、2001年11月にツールド沖縄200kmロードレース市民クラスに参加したときのレポートです。
何でレースがTripに書かれているの?って思われるかも知れませんが、Tripだったんですよ。ちょっと
長いですが、読んでいただければ「単にレースに参加しに行ったわけじゃない」って事がわかると思います。

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1日目:沖縄到着

飛行機は島を一度通り過ぎて南から進入したため、島を一望することができた。僕にとっては初めての沖縄。 エメラルドクリーンの海、青々と茂るヤンバルの森、北海道とは別世界だ。到着間近に見えた那覇市街は 思ったよりも開発が進んでいる。

到着して飛行機を降りたとたん、暑いというほどではないが暖かい。25℃くらいだろう、心地よい暖かさだ。 さっそく自転車を組み立てていると、ワイヤー錠を忘れたのに気づいた。輪行袋を空港の手荷物預かり所に 預ける間、自転車は外に放置しなければならない。近くにいたタクシーの運ちゃんに「見ていて下さい」と頼むと、 「高そうな自転車だな。もらっとくよ!」だって。悪い人じゃなさそうだからハハハと笑って返したが、戻るまで ちゃんと見ていてくれた。

準備も整い、タクシーの運ちゃんに別れを告げ、午後3時空港出発。今日は本島から海中道路を通って行く 伊計島までの約60kmを走る予定だ。那覇市街を迂回して、まず首里城まで行ったが、日没までにあまり時間が ないため、そのまま素通りして伊計島へ向かった。海中道路にたどり着いたのが薄暗くなり始めた5時頃。 あと12kmだ。沖縄の日没は6時頃だから、なんとか間に合うだろう。レースに備えて、足にダメージが残らない ようにゆっくりと坂を登って、伊計島に着いたのが5時40分。しかし、キャンプを予定していた伊計ビーチは既に 「Closed」。仕方がないので、薄暗い中、他にキャンプできそうな場所を探し回った。最後に見つけたのが、 「大泊ビーチ」。後で知ったが、知る人ぞ知る沖縄一の隠れビーチだそうだ。ビーチを管理している海の家に行くと、 アロハを着て日焼けした老人が座っている。そこのオーナーらしい。食事を頼むと、「レースがんばれよ」と励まされて、 ビールをおごって頂いた。レースまで禁酒のつもりだったのに…まあいいか。ほろ酔い気分で、気持ちよくキャンプ することができた。


2日目:大泊ビーチ〜名護市

8時頃に起きて1時間ほどビーチを散歩し、ちょっとだけ海に入って水遊びをしたのち、10時には名護へ向けて出発した。 途中で、最近世界遺産になったという勝連城址を見学しに行ったが、風化した石積みの階段を、靴底がプラスチックで できたロードシューズで歩くのは辛く、結局、途中で靴を脱ぎ、裸足で散策。その後、のんびり走って名護に向かったが、 天気がよく、日差しはまるで真夏だ(北海道を基準に)。島の東側から西側に出るのに200m程の小さな峠を一つ越え、 3時過ぎに名護に到着。出走登録を済まし、出店で名物「タコライス」を食べた。タコとは海のタコではなく、メキシコ料理の タコス。ピリ辛で、なかなかうまい。ビールが欲しくなるがここは我慢。

開会式は、やはり役員の挨拶に終始してつまらないものだったが、芝生でのんびり昼寝をしながら参加した。その後、 近くの市民体育館でシャワーを浴びたが、これがのちに大事件へと発展する。そんな事とは露知らず、シャワーの後 キャンプ地を探すために散策したが、市民会館のすぐ後ろの砂浜に決めた。さすがにレース前日にキャンプしている 人は他に誰もいない。テントを張り、眠りに就くがちょっと肌寒い。ウィンドブレーカーを布団代わりにしようとして リュックの中をさがしたが見つからない。「眠いし、まあいいや」と眠ってしまった。


3日目:レース当日

まだ真っ暗な朝5時に起床し、準備を始めた。会場では既に人が集まり始めている。「昨日見つからなかった ウインドブレーカーはどこかな」と探し始めて、大変なことに気づいた。「サングラスもない!」コンタクトなので サングラスがないのは致命的だ。よくよく考えると、「あっ、昨日のシャワーだ」。置き忘れたらしい。すぐに体育館に 向かうが、朝6時前だ。当然誰もいない。あきらめて会場にもどると、自転車用品を売っているブースを見つけたので、 サングラスを買おうと思ったが、サイフもないことに気付いた。愕然としていると、「支払いはレースが終わってからでも いいよ」。有難く、お借りすることにした。とりあえずサングラスの問題は解決したが、鍵のかかっていないロッカーに 入れたので、盗まれていないかどうかが気がかりだ。

召集時間になったが、タイヤの空気圧が低いままなのを思い出してメカニックサービスに行ってびっくり。20人ほどが 行列をつくっているではないか。「召集に間に合わない」。ここで、メカニックが機転を利かせてくれて、初めにスタート する市民200km参加者を優先してくれたため、なんとかスタート地点に移動する直前に召集場所に着くことができた。

参加者は約180名。最後尾にいるため、スタートラインすら見えない。前方から「パン!」と聞こえてから10秒ほど経って やっと動き出したと思ったら、みな猛ダッシュで集団の前へ行こうとするため、スピードはあっという間に40km/hだ。 ウォーミングアップなどしていないので、すぐに息が上がってきた。いくつか交差点を曲がった後、軽い上りに 差し掛かった。集団のスピードは30km/h程で上っており、ゆるい坂だが中切れを起こす者が出始める。2km程で坂は 終わり、下りに入ったとたん、すぐ斜め後ろで「パン!シュー」。センターライン上には反射鋲があり、乗り上げると 痛い目に会う。

下りが終わると、集団は平地を38km/hくらいのハイスピードで進んだ。話が違うぞ、「初めはサイクリングみたいだ」って 聞いていたのに。交差点のたびにスピードが大きく変わるので後ろの方はつらいが、前に行くほどの脚力はない。 時々、センターライン上にコーンが立っていたり、片側通行になったり、そのたびに集団は少し混乱したが、特に トラブルもなくハイスピードのまま淡々と進んだ。

海沿いをしばらく走ったのち、交差点を右に折れ、坂を登り始めた。スピードは30km/h以上を保ったままであり、 「長い坂ではないだろう」と思っていたら、ここが照首峠の上り始めだった。500m程で一度平らになり、また坂が きつくなったところで30km/hを保っている集団について行けなくなった。上からはポロポロちぎれて人が降ってくる。 しばらくすると4人のちぎれ集団ができ始めて、先頭交代をしながら上った。

ちょっと余裕ができ始めたので辺りを見回すと、山の雰囲気は南国のジャングルではなく、本土にあるような ごく普通の山林という感じだ。気温差はあっても、やはり日本なんだなと思いながら上っていると、いつのまにか 集団は降ってきた人を吸収して7人に増えていた。急な坂とゆるい坂が500mおきくらいで交互に来るという、 いやらしい坂だ。集団を引っ張っているのは自分を含めた3人で、残りの4人は何とか付いてきている状態だ。 「スピードを上げても得なことはないな」と思って、その集団のままで坂を上り切った。

ひとことで言えば、要するに1回目の照首峠で千切れたわけだが、このまま引き下がってしまっては完走は できない。下りに入って次々と遅れた人達を吸収し、追撃集団は10人を超えていた。下りが終わって海沿いに出て、 最初の上りで前方に5人程の小グループが見えたので、ちょっとペースアップして追い付くことに成功した。 集団は15人だ。「まだ行けるかも」。

ここからしばらくは、細かいアップダウンが続き、照首峠で集団を引っ張った一人を含む2〜3人が脱落して しまった。少し大きい町を通過したのち、すぐに2km程のやや長い上りに入った。きつい上りではなかったが、 集団のスピードは一気に落ちて、後ろの方にいた俺はいつのまにか先頭に押し出されていた。もう一人 元気そうな人がいたので、「しょうがない、ペースメーカーになるか」ということで、二人で先頭交代をしながら 上り切り、下りに入った時、それが起こった。ピキーン。足がつったのだ。下り坂なのに、集団に付いて行けない。 クランクを回転させる度にふくらはぎが痙攣してしまう。どうやら、これまでの無理がたたった様だ。集団は 見る見る遠ざかって行き、一人旅となってしまった。あとは、足切りになるまでにどこまで走れるかだ。辺戸岬は 過ぎた。2回目の照首峠までは何とか行きたい。スピードを落とし、峠の上りまでに足を回復させる作戦に出た。

やがて、ちぎれ集団からさらにちぎれていた2人と合流し3人で先頭交代しながら峠の上り口にたどり着いた ときには、足はかなり回復しており、「これなら上りきれる!」この3人のうち1人は足を残していたようで、 スイスイ1人で行ってしまった。もう1人は俺と同じく足がつりそうらしく、ペースは上がらない。結局一人になって 上っていると、心肺には余裕があるのにスピードを上げられないのがもどかしい。ツーリングのペースだ。 しかし、何とか足がつることなく登りきることができ、峠を過ぎて下りに入っても停められないので、「もしかして、 次のチェックポイントまで行けるかも」と思ったときだった。前方の補給所で赤い旗を振っているのが見えた。 終わりだった。

待機所には50人程は居ただろう。最初に俺がいた追撃集団も全員いた。「やはり追い付かなかったのか」。 ドリンクサービスのジュースを飲んでいると、「や〜、大変でしたね」と声を掛けられた。話では、鹿児島のからの 参加で、過去6年間で初めて完走できなかったとのこと。「チーム員が車で迎えに来ているんだけど、乗って いかないかい?」と誘われて、有難く乗らしていただくことにした。

レースにぶつからないように、峠を逆走して下ることにしたが、「ボトルを拾おうよ」ということになり、ふもとまでに 10本以上は拾った。その後、さすがに疲れていたのか、ウトウトと眠り、ふと目を覚ますと車は渋滞につかまっていた。 もう名護市に近づいていたのだ。ドライバーはさすがに7年目だけあって、渋滞をかわして裏道を走って、自分たちの 宿までたどり着いた。「ここからは、走っていって」と言われ、厚く礼を言って別れた。

さて、閉会式に出る前にやっておかなければならないことがある。財布とサングラスだ。早速、市民体育館に向かった。 受付には財布の届け物はなく、ちょっと不安になったが、「ロッカーの中にあるかも」と希望をつないで探しに行くと、 「あった〜!!」財布の中身も無事で、早速レース会場で、借りていたサングラス代を払った。無駄な金を使って しまったが、いい教訓にもなった。

閉会式は淡々と終わり、4時からはお待ちかねの交歓パーティーである。タダ飯に、タダ酒だ。本来ならばゆっくり したいところだが、今日中に那覇に向けて30〜40km程走っておかなければならないので、4時半に出発だ。 急いでオリオンビールとおにぎり、沖縄風豚汁を平らげると、一気にアルコールが回って気持ち悪くなった。 結局、回復して名護を後にしたのは5時を過ぎていた。

陽が暮れたら近くの浜辺でキャンプを張ろうということで、宿泊予定地を決めているわけではない。結局40km程走って、 真っ暗になったので、砂浜を探すと、あるにはあったが「キャンプ禁止」の立て札が…。「夜中に騒いだり、ゴミを捨てたり するマナーの悪い者はキャンプ禁止」ということだろうと勝手に解釈して、こっそりとキャンプさせて頂くことにした。 しかし、砂が余りにもサラサラすぎてペグがすぐ抜けてしまうという問題が発生した。風も強い。シューズをハンマーの 代わりにしてペグを深くまで打ち込んで、何とか安定したが、寝ている最中に風が強くなり、夜中の1時頃に一度 テントが崩れ落ちた。真っ暗な中でテントを張り直して再び眠りについたが、風がうるさいのと、結構寒くて1時間毎に 目を覚ましながら朝を迎えた。


4日目:さらば沖縄

6時頃には出発した。うれしいことに強い追い風で、軽くこぐだけで40km/hくらいで走れる。時間に余裕がありそう なので、残波岬へ寄り道をした。ここは、沖縄とは思えないような男性的な海岸である。風が強いため大波が絶壁に 打ち寄せて、潮を吹き上げていた。

その後、米軍基地、弾薬庫を通り抜けて那覇へと向かった。那覇市の繁華街、「国際通り」で1時間程買い物をした後、 那覇空港に向かった。空港までは市街から3km。この3kmは俺にとっては、ゴールまでのラスト3kmだ。レースを 完走できなかったのは残念だが、何か別の充実感が込み上げてくる。完走は、「できればいいな」と思っていた 程度なので、あまりショックはない。それよりも、3泊4日を全て自転車で走り切ったことに充実感、満足感を 覚えたのだ。今年はこれでいい。しかし、「来年こそはレースを完走するぞ」という決意を胸に空港に到着した。

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注) 諸事情により、2002年はツールド沖縄には参加していません。完走の夢は、また今度っね。


2002/10/12〜15() 鉄道旅行

久々に、列車に乗って長旅をしてきた。目的地は福島県猪苗代。本来なら、フェリーで新潟に行ってそこから自転車で走りたいところであったが、今回はそうする時間がなかった。


列車でなるべく安く行くとなると、快速「ミッドナイト」を使いたかったが、既に廃止になっていた。仕方がないので、札幌−青森間は急行「はまなす」を使い、
それ以外は郡山の手前の本宮駅までは普通列車を5本乗り継いだ。本宮から猪苗代までの約40kmは自転車で走破し、運賃は学割も使って往復20200円で済ませた。


さて、今回の旅行の目的は鉄道研究会の仲間に会うことだ。彼らはSL撮影が目的で猪苗代に集まってきたが、私は適当に彼らに付き合いつつ、会津盆地の自然を楽しんで来た。


最終日は、猪苗代の宿をひとり自転車で出発し、磐梯吾妻スカイラインへ。紅葉が綺麗な季節だ。料金所では車が長い渋滞の列をつくっていた。自転車はその横を平然とすり抜け、
悠々とスカイラインの走行を楽しんだ。


その後、福島駅の隣、伊達駅から再び各駅停車の旅が始まった。青森まで5回の乗り換えだ。途中、一関までは混雑のため座れなかった。立ったままの3時間あまりは、
自転車に乗っている方がまだましだった。


一関から先は座ることができたが、今度は夕食が問題となった。盛岡で駅弁を買う予定が、売り切れだったために、売店で買った菓子パンが晩飯となった。
う〜ん、この貧乏学生っぷりがいいね〜。久々に、鉄道研究会会員の頃の貧乏旅行を思い出した今回の鉄道旅行だった。


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