


田園を駆ける583。好摩―岩手川口
583系。青森
ライトの下に「Hatsukari」の文字。現在は「Tsugaru」に改められている。盛岡
昭和33年、東北で初めての特急列車「はつかり」がデビューした。当初は勾配の緩やかな常磐線経由で上野―青森間を12時間で結ぶスハ44系の客車列車であり、C61、C62が牽引した。
昭和35年末には、「はつかり」のために新製されたキハ81系気動車に置き換えられるが、キハ81系は初期故障が多発し、世間から非難されたが、その後は順調に走り、所要時間を1時間以上も短縮した。
そして、昭和43年10月の白紙ダイヤ改正と同時に盛岡―青森間の電化が完成。「はつかり」はキハ81系から583系電車での運転となった。気動車時代と比べて更に2時間近くのスピードアップを実現し、上野―青森間は8時間半で結ばれた。この583系は昼夜兼用の運転が可能である特徴を生かし、寝台特急「はくつる」も「はつかり」と同じ運用の中に組み込まれた。
昭和48年には「はつかり」は3往復に増発され、485系も「はつかり」の仲間に加わる。その後、上野―青森間で5往復体制での運転となり、「はつかり」や東北特急の全盛期が訪れる。
昭和57年に東北新幹線が開通すると、「はつかり」の運転区間は盛岡―青森間に変更される。その後は、新幹線連絡L特急としての新たな使命を担っていた。昭和62年に国鉄がJRに生まれ変わってもそれは変わらなかったが、翌年の昭和63年、青函トンネル開通に伴い、2往復の485系「はつかり」が函館まで乗り入れた。踏切などがない青函トンネル内では140キロ走行が特別に認められ、当時は在来線特急の最高速度であった。
平成4年、奥羽本線経由の特急「つばさ」が新幹線に格下げになると、「つばさ」用だった485系が「はつかり」用となり、583系は遂に定期「はつかり」から退く事になってしまうが、お盆や年末年始の増発列車として活躍を続けた。
そして平成8年には、これまで国鉄色の485系と臨時用の583系のみで活躍を続けてきた「はつかり」に新しい仲間が加わる。内装・外観とも新車と見紛うほどにリニューアルされた485系3000番台は、「はつかり」の新しい顔となり、「はつかり」のイメージアップに貢献した。更に平成12年には高速バスに対抗すべくE751系が新製投入され「スーパーはつかり」としての活躍を始める。この時、リニューアルされていない国鉄色485系も定期運用から離脱する。
そして2002年12月、東北新幹線の青森―八戸間が開業。同時に「はつかり」は44年にも渡る活躍を終える事となる。国鉄色485系と583系も、最後まで臨時列車などにか活躍していた。485系3000番台は八戸ー函館間の特急「白鳥」に、E751系は八戸―弘前間の特急「つがる」にそれぞれ転用され、583系と国鉄色485系は各種臨時列車やイベント列車に使われている。

「はつかり」のヘッドマーク。盛岡

雪の中を走り終えて・・・・485系。青森

485系3000番台同士の離合。八戸

リバイバルで上野に到着した583系「はつかり」

函館で発車を待つ485系3000番台「はつかり」青函トンネルをくぐれるのは各種485系のみである。
|
|