中央・総武線で最近まで活躍した103・201・205系と東西線直通運用に活躍した103・301系ご紹介する。

昭和38年から昭和58年まで20年に渡り3500両以上製造された「国電」の代表車種。製造時期により前面デザインに違いが見られる。
中央・総武線でのデビューは昭和54年であり、新製車両は3本のみで、中央快速線から転属した車両が多かった。引退までほとんど全車が津田沼電車区(現・習志野電車区)に配置されていたが、一時期、事故車両代行・新車の到着待ちのため1編成のみが三鷹電車区に貸し出された事がある。
全盛期は37編成が活躍し、主力車種だったが、平成13年3月に最後の編成が引退した。

昭和54年、国鉄で初めてチョッパ制御を採用して登場した201系は、当時としては画期的な省エネ電車であった。昭和57年から中央・総武線への投入が始まり、中野電車区に配置されたが、昭和61年には中野電車区の車両が全て三鷹電車区に転属した。同時に、中央快速線用だった試作車900番台が中央・総武線で使われ始めた。その試作車は、ATS−P導入により中間車となった。
中央・総武線を新車で統一するため、平成13年11月に引退したが、比較的新しい車両なので、全車両が青梅線、京葉線などに転属した。

1985年、国鉄で初めてのステンレス通勤電車として登場したが、中央・総武線への投入予定は当初はなかった。しかし、事故により車両が不足したために、埼京線用に造られた車両を急遽三鷹電車区に投入した。
その後、他線区との間で転入、転出が繰り返され、時期により所属編成が1〜4本に変化したが、引退までの間、最低1編成は活躍していた。
少数形式であり、保守に不便だったが、国鉄型車両では最後まで残っリ、平成13年11月、201系よりわずかに遅く引退し、南武支線用に改造されるなど、全車が再利用されている。


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